霊能力があるというのなら、『望まれていない』 『経営が悪化していない』
ということがなぜ分からなかったのか
フジテレビ、FNS27時間テレビ「ハッピー筋斗雲」に於ける、リンゴボランティアの件
について、このようなご指摘がありました。
江原氏の守護霊は、どうしてそれを教えなかったのかと。
他のページで書きましたが、実際は経営が苦しいと、ご本人が発言されていたと
江原啓之さんは述べています。
しかし何故、こういう事態になるのが、霊能力があるのに、江原氏はわからなかったのかという疑問になると思います。
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それは、霊界側は、余計な手助けをしないということです。
霊的真理の普及は、霊界との相互協力によって行われるのですが、
自由意志による、人間の能力、裁量、努力で行われることが前提です。
人間が住んでいる地球は、人間の力で天国にしなければならないからです。
江原啓之さんはよく、自分のことは霊界は教えてくれないといいます。
霊視は、江原さん個人の能力ではなく、霊界から与えられているということをお忘れなく。
先のことを教えてくれと霊界に頼んでも、必要なければ、教えてくれないのです。
人は体験によって学んで行くからです。
失敗や成功によって多くのことを学び、悟りや知恵や技量を増し、前進して行く。
江原さんも今回のことで、今までもそうであったように、より賢くなっているはずです。
そうやって江原啓之さんも、私たち同様、学んでいるわけです。
地上は、たましいの訓練の場なのです。
そうやって、人間は進歩して行くのです。
これは子育てと同じです。
親がなんでも手を貸すと、子供は何もできない大人に成長してしまうわけです。
本来、愛とはこういうものなのです。
こういうことを言うと不謹慎かもしれませんが、
こういう騒動があるから、人生はドラマチックになるのです。
人間は、喜怒哀楽という経験と感動を得るために、この地上に来たのです。
そうです、イエスでさえ、無実の罪をきせられ、十字架上で殺されたのです。
神はそれを見守っていたのです。(*1)
すべてのことを見通せたら、江原さんは神様になってしまいます。
霊界が定めた、霊能者が霊視できる範囲というのがあるのです。
必要以上の力を与えられるわけがないのです。
◇
「いくら霊能力があっても、自分に関することは視えづらいものなのです。
なぜなら、私もひとりの人間として、自分自身の経験と感動をもとに、学びを積んでいくために生きているからです。自分の身に起こることを、霊界が先まわりして教えてくれるようなことはまずありません。」 江原啓之著 「人生に無駄はない」
p81
「江原啓之への質問状」 徳間書店 p334〜335 も参照
(*1) キリスト教では、イエスは全人類の罪の贖いをする為に、十字架にかかったという説が一般的ですが、
スピリチュアリズムでは、そういう説をとっていません。
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