オーラの泉、檀れいさんの霊視についてオーラの泉の、檀れいさんへの霊視が外れていると、ネット上で大騒ぎになりました。 「霊視した人が実は生きていた」と・・・・。 私は江原啓之さんの番組を、ほとんど録画していますので、檀れいさんのオーラの泉を、 見返し、江原さんの「ほぼ日記」の言葉、そして、その記事が載っている週刊誌 (08.1.24号)を、図書館から借りて (絶対、買いません! 笑)、検証しました。 さて江原さんが、この件について「ほぼ日記」で、どう言っているかというと、 著作権の関係で、自分の言葉で概略だけ説明しますが、 |
江原啓之さんは――。 先日の週刊誌で、オーラの泉がインチキ呼ばわりされたが、 番組でゲストに恥をかかせないのは、公言しているように番組の基本姿勢。 有名になれば必ず悪意で足を引っ張る者がいる。 誰にでも触れられたくない過去がある。 それを思いやるやさしさが、今の社会は欠けている。 複雑な家族構成については、理解していたし、ご本人も言っていた。 (そして、その週刊誌の某女優への嫌がらせのような記事を非難し) 某女優さんが気の毒でならない、とおっしゃっています。 (ほぼ日記 2008/01/23) これだけです。 ここで江原さんは、某女優と言って、名前を特定していませんが、江原さんが嫌がらせだと言っている、(檀さんの)銅像の話とか、昔の写真が、その記事に掲載されていますので、檀さんの話に間違いありません。 |
ここで江原さんは、檀さんの複雑な家族構成について理解していたし、 ご本人も(江原さんに)言っていたと述べているでしょう。 要するに江原さんは、檀さんに、お二人の父親がいたことを知っていたわけです。 しかし番組で、実父と義父、二人の話を出すわけにはいかなかった。 ゲストに恥をかかせないのは、番組の方針です。 想像力を働かせてください、おわかりでしょう。 誰にでも、触れられたくない過去があるからです。 番組で、母親の再婚の話は、ナレーションでも檀さんからでも、いっさい誰からも 出ていません。 檀さんが―― 「実は私には、二人の父がいるのですが、あまり、公(おおやけ)にしたくないので・・・・」 と江原さんに相談し、では、「2人の父を1人の父の様に話しましょう」と、示し合わせた 可能性が高いということです。 こう述べておられる方がいます。 リェコの東方見聞録 : 江原啓之氏のこと (メディアリテラシーとは、メディアの仕組みや、伝達される内容などを読み取る能力) 江原さんが二人の父の存在を知っていたのに、区別して話さなかったという理由は、 これしか考えられません。 他にどうしなさいと・・・・・ 檀さんには、どちらの父のことを言っているのか明白です。 |
江原さんが、生きている実父を義父として霊視していたら、檀さんも驚いたと思いますが、壇さんには何の違和感もなく、喜んで夢中で懇談していたことから、まず間違いないと思います。 檀さんは、その週刊誌の、江原氏は間違えたのでは?という質問に、 こう述べています。 「私、あの時は最初から最後まで号泣してましたよね。自分が今まで心に秘めてきたことを解ってもらって、言ってもらって、心が軽くなって、その事で一杯だったし、涙が止まらない状態だったので細かい部分は覚えていないんです。」 「『オーラの泉』は、視聴者参加型の番組ではなく、江原さん、美輪さんとゲストの会話の中で、スピリチュアルな、精神世界の話をするわけです。それをゲストがどういう風にキャッチして、自分の糧として歩んで行こうかなというものだから、周りがガタガタいうことでもないと思うのです。」 檀さんは、江原さんを擁護しているでしょう。 この引用は、江原さんを非難する、その週刊誌の記事の中に書かれているのですから、内容はほとんど間違えないと思います。(笑) オーラの泉のエンディングでも、檀さんは国分さんに―― 「いろんなことを、はっきり言ってくださるので、心にも響いてきましたし、すごく良い時間でした」と、とても満足そうでした。 |
☆ しかし、お節介なことに、その週刊誌が江原氏を叩くために、檀さんに、二人の父が いることを取り上げた。 そして、江原さんや檀さんが、いちばん恐れていたであろうことを、その週刊誌は 行ってしまったのです。 記事を読んでいたら、江原氏を非難する記事のはずが、いつの間にか、檀さんと 実父、壇の祖母、義父、4人の再婚にまつわるエピソードとなり、檀と義父に対する 中傷と取られ兼ねないような記事が続いています。 義父に至ってはもう、チンピラの様に記述されています。 (記事には"チンピラ"という言葉は、使われていません。) しかし、これは、記事のねつ造の可能性があります。 檀さんは、義理の父のことを、とてもいい人だったと、感きわまって泣きながら話して います。(ここは、受験期でなく、宝塚時代のことを話していますから、義父でしょう。) また、家族中で、義父が(交通事故で)亡くなったことを嘆き、お父さん、お父さんと 大合唱しているとオーラの泉で紹介されました。 しかし、週刊誌は、江原氏がふたりの父のエピソードを、混同してしまうことは ありえないと説明するために、実父はとても真面目な人だったが、 義父は、チンピラの様な人だったと、延々とエピソードをあげて説明しているからです。 また、記事の出所がはっきりしないものも多い。 このようなプライベートな話は、まったく無関係な一般大衆が、よってたかって 観覧するようなものではありません。 人を慮るやさしさが、今の社会には欠けています。 江原さんは、気の毒でならないと言っています。 こういったゴシップ雑誌は、いったい、いつまでこうした人権侵害を 続けるつもりでしょうか。 BPOは、どうして注意をしないのでしょう。 え、放送でないって? そですか。(笑) |
しかし、この騒動で、いかに今までのゲストの霊視が正しかったか、わかると思います。 檀さんのように、そのゲストの出身地の方、同級生や友人、知人がたくさん番組を 観ていますから、間違えれば大騒ぎになる可能性があるのです。 増してマスコミは、江原氏のしっぽを掴もうと、虎視眈々と狙っているのですから。 もう100人以上のゲストの方を霊視しているのです。 今まで、このような事がなかったこと自体、奇跡です。 ☆ ☆ ☆ かりに江原氏が霊視を間違えたとしても、スピリチュアリズムで 「シッティング」といっている、このような霊視は、一つの技能、職人技で、 完璧に当たるというものではないのです。 江原氏の霊視は驚異的確立で当たっていますが、普通はそうでないのです。 みなさん、この様なことを、おわかりになっていない。 誰か霊界と交信を取ろうとしてみて下さい。(信じない人は、あると仮定して) 難しさが実感できるでしょう。 そ、 そのくらい難しいんですよ。(笑) 江原氏は鍵穴を覗くような作業だといっています。 たまに霊視を間違えたからと言って、江原氏の霊視をインチキとするのは、 余りにも愚かしい話。 私も瞑想で、霊視の真似事みたいなことをしたりするんですが、 調子のわるい時は、色も付かないで白黒に見えたりするんですよ。 画像もおぼろげにしか視えないんです。 調子の良いときは、鮮やかなカラーでクッキリ視えるんですけどね。 これ、霊能者に共通しているようですよ。 (私は霊能者ではありませんが、霊能開発をしたことがあります。) もし、江原さんが、生きている実父の存在を知らなかったとしたら、 檀さんの宝塚受験の時の実父を、(霊視したとき) 亡くなった義父と勘違いし、 そして、義父からの交信と混同したということもあるかもしれません。 上で述べたように、調子がわるいときは、おぼろげになりますから、 いくらでも勘違いできます。 実父は、映像で視たが、義父は霊聴(声が聞こえること)で通信を送って来て、 区別がつかなかったとか、そんなこともあるかもしれません。 まぁ、いろいろあるのですが、物事、そんなに単純ではありません。 視たものを、いかに正しく解釈するかが、そのミーディアム(霊媒)の技量、力量と なります。 人間が行っていることですから、完璧などありえないのです。 ◇ しかし、週刊現代 2008/3/15号で、江原啓之さんは―― 「私は、檀さんの人生のなかでの、その時々のお父さんの声を伝えたわけです。 ご両親が離婚される前の出来事については、私に視えた実のお父さんのお気持ちを伝え、お母さんが再婚されてからは、亡くなられたお父さんの声を伝えました。 それをあえて私が言わなかっただけです。 (中略) あの愛のない記事によって、檀さんの心が傷ついていないかと心配しています。」 と述べています。 |